『京の御土居巡り』
令和 元年 6月2日(日) 幹事:T.M S.M 参加:5名
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。台形(基底幅約20m、頂上部幅約5m、高さ約5m)の土塁と堀からなり、南北約8,5km、東西約3,5km、その延長は約22,5kmに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。
今日は『紫竹・大宮・鷹ヶ峯・紫野・北野天満宮』の6ヶ所の御土居を巡ります。
早く着いたので京都駅最上階まで見学し、綺麗な公園を楽しむ。
9:16発のバスにて加茂川中学校前まで乗車。
約40分ほど所要。
鴨川の堤防のすぐ横に目指す御土居はあった。
この地点で御土居はほぼ直角に曲がり、西に向いて伸びる。
その先は紙屋川へと続き、町屋が御土居を遮っていた。
大宮児童交通公園にも御土居があり、子供たちで賑わっている。
住宅街をドンドン進みそのはしの空き地から御土居を眺める。
竹藪の山のように東西に延びる。
まるでチョッとした山登り気分だ。
頂上部は意外と高く、比叡山、銀閣寺近くの大文字までよく見渡せる。
仕方なく、元に戻る事になる。
御土居の頂上部や斜面は木々や竹で覆われまるで「グリーンベルト」の様相だ。
元の入り口に戻り、次に紙屋川に向かってひたすら歩く。
ここの扉の鍵は「光悦堂」の和菓子屋でも借りる事が出来る。
この御土居の向こう下は、かの
『光悦芸術村』(本阿弥光悦)だ。
御土居の上を見学。
この先は紙屋川になり、天然の堀となっており、この西の下からは土塁と言うより、高い山の様相である。
ここで、御土居は直角に左に折れる。
御土居から少し離れた町道を歩くと、昔の御土居を利用した庭園が現れる。
(後の時代に御土居は取り除かれたり、薬草園にしたり、売られたり、と変遷していったようだ。)
しょうざん光悦芸術村は総合アミューズメント施設。
西陣織や袖の着物を製造する「しょうざん」が京都の伝統工芸振興やレジャーの一環ととして設営され、
鷹ヶ峯三山を借景にした日本庭園。
3月の梅、6月のしようぶ、11月の紅葉、冬の雪景色と四季の風情が楽しめる。
徳川家康より本阿弥光悦にこの地を下長された旨を
芸術村をあとにし、御土居史跡公園に向かう。
さらに足早に仏教大学レストランに入る。
ようやく楽しい昼食だ。
学食は安いが、量が少なめ?
天満宮の門には「いなめ」模様
お茶室などの「いなめ窓」は誠に風情がある。(日本式ハート形)
裏門からの訪問のため?「文子天満宮」がすぐ目に着く。
(天満宮の租)
一目散に御土居説明看板に。
「青もみじ」の庭園へ。
川の下流から上流へと散策。
悪水抜きのある場所には柵がしてあり、どうしようか?迷ったが、思い切って足を踏み入れると、すぐに見つかる。
ここれが唯一の「悪水抜き」の出口だとか。
20mの長さとか。
これで、きたの天満宮御土居も見学し、本堂にくだり、今日の無事を感謝し、帰りの無事もお願いして東門に向かう。
これで土産もでき、平野神社へ。
平野神社の事はよくは分からないが、桜の花が綺麗だそうだ。
←← 境内で珍しい物を見つけた。
境内には外国人がここでもとても大勢来ていた。
今回の『御土居めぐり』は「ブラタモリ」で紹介されたが、まさに「ぶらぶら歩き、見物」にピッタリのようだ。
のんびり!京歩きができ、正に平和、倖せな一時を過ごせた。
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